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当日の
若木さなえ立川市議とワタシの
トークセッションを
スタッフの方が
冊子にしてくれました。
ここに掲載します。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
佐藤あや子トークセッション
この冊子は、去る二月二十四日に開催された「佐藤あや子さんを励ますつどい&事務所開き」でのトークセッションを紹介するものです。
聞き手は若木さなえ立川市議会議員です。
佐藤あや子さんという人間を知るトークセッションの幕開けです。
◆昨年は、熊崎議員を失うという悲しみの幕開け◆
〈若木〉
昨年の立川市議選では、議会の後に駆けつけてくださったり、あや子さん手作りのお弁当を毎日届けていただくなど、あや子さんには大変お世話になりました。早速お聞きしたいのですが、昨年を振り返って喜怒哀楽といえば、何を思い出しますか。
〈佐藤あや子〉
昨年2018年を振り返ってということなのですが、大変な一年で、2017年の秋に共産党昭島市議団で共に活動した熊崎議員が急逝し、同僚を失うという悲しみの中での幕開けでした。
うれしかったことをパッと思うのは、沖縄の県知事選挙で玉城デニーさんが当選したことです。その前の2月に行われた名護市長選挙に現地まで応援にいったんですが、辺野古新基地に反対する稲嶺進さんを落とすという結果に泣きたくなりました。それで沖縄がどうなっていくのかものすごく心配になりました。そうした中で沖縄の皆さんがあらためて「新基地反対」の民意を示したことに鳥肌が立ちました。
◆兄の二人の子どもの成長が楽しみ◆
怒ったことは安倍政権のもとで沢山あるのですが、昨年の春、官邸前での抗議行動に行きました。その時の出来事です。当時、公文書の書き換えに怒って多くのみなさんが官邸前に集まっていました。地下鉄の国会議事堂前駅で降りたのですが、地上に上がる出口すべてが警察官によって封鎖されていました。私は他の人と一緒に駅に監禁されたのです。自由を奪われた私は、怒りを覚え、そばにいた警察官に食ってかかるということもありました。
悲しかったことは、やっぱり沖縄県知事だった翁長雄志さんが亡くなったことです。あの時は言葉を失いました。人が亡くなるのはつらいですね。歌丸師匠、さくらももこさんもなくなりました。毎回テレビの前で泣きました。
楽しいこと、それは兄に子どもが二人いるのですが、姪の方が性格も顔も動きも私の小さいころにそっくりだと父母がいいます。いやなものはイヤ、こうしたいということをはっきりと言うのでとてもスッキリと気持ちがいいですね。二人の成長が楽しみです。
◆共産党の議員だから、まっすぐでいられる◆
〈若木〉
官邸前には私もいっしょに行ったのですが、たくさんの人が閉じ込められました。警官に詰め寄るあや子さんを見て”凄い”と思いました。こんなに真っすぐなあや子さんです。自分でなぜ真っすぐなのか分かりますか。
〈佐藤あや子〉
官邸前の話ですが、自由を権力によって奪われた感覚だったんですね。その時はとっても危機感がありました。抗議行動の整理誘導なんてものじゃない。地上に出たら出たでバリケードの中に押し込められて、ひとたびトイレに行こうものならもう抗議の場には戻れない。警察でしたが権力によって私たちの「こうしたい」という声も届けられない危機感を肌で感じました。それで食って掛かったと思います。この時の胸が騒つく異様な感覚は、沖縄でも経験しました。昨年の7月に沖縄へ行ったときに辺野古のゲート前で、やはり座り込みの人たちを機動隊が連れてゆくと。こういうことが今もやられているのですが。そのとき、同じ人間を対立させ、分断させ、もっと言うと怨みあわせる、そういう政権、権力のやり方に、これは絶対阻止しなければと感じました。
真っすぐということですが、大きなことは、やっぱり私が共産党の議員であることがその理由だと思っています。ウソはつけないというところは私の根本にあるんですけど、それを貫徹できるのは共産党の議員だからと思っています。
◆共産党だから、自分の良さを生かしてもらえると◆
市議会にいても自民党の議員さん、国会では野党としてがんばっている党の議員さんでも、議案などへの所属会派の態度について「本当は反対したかったんですよね」「本当はこうしたかったんですよ」などと言われます。それは先輩に止められたとか、市長の顔色をうかがったということなんでしょうけど、そういうことを一切抜きにして、自分の気持ちであったり、人々の思い、昭島市内で起きている実態をもとに声が届けられるのは共産党だからこそで、私は共産党だから自分の良さを生かしてもらえていると思っています。
◆議長の暴言に抗議し謝らせる◆
〈若木〉
私は、議員になって女性であるからということ若いということで大変なことがあると実感しています。25歳で女性で議員になってのご苦労が想像されますが、そのあたりのことを。
〈佐藤あや子〉
一つだけ紹介すると、私は25歳の時、まだ結婚もしていない時でしたが、市民の声を代弁して福祉のことについて発言しました。子育て支援について発言したのですが、当時の議長に、議場の外でしたが、「それはあなたが子供を産まない、そのことがこうなっているのではないか」と言われました。これは本当にひどい発言だと思い、荒井議員、永川議員(当時)と一緒に議長室で議会事務局長同席のもと、抗議をし、議長に謝罪をさせるということがありました。一期目のときです。他にも食事会の席でのことなどありますが、「私一人が我慢すれば済む話ではない」ということを痛感しているんです。
◆暴言つづきの安倍政権を、代えなければ◆
公人が私に向けた言葉、これは昭島11万3千人の昭島市民にむけられた言葉、暴言であると。だから絶対に許してはならない、それを共産党昭島市議団として抗議に行く。こういうことだったと思います。その方は謝罪をして次の選挙には出なかったんですが、もし出てきたら許さないと思っていました。バッジを外すべき、そういう問題だと思っています。だからそういう意味で暴言続きの安倍政権は絶対に代えなければと思います。
◆質問は「市民の利益になることをどう答弁で引き出すか」を考えて◆
〈若木〉
いろんな議員の質問をインターネットで見るんですが、あや子さんの質問が一番しっくりくるんです。見ていて元気になるんです。命に関わることのど真ん中をついた質問をしているんです。水道法が強行されようという時すぐに水の問題、三年前には学校体育館にエアコンの設置を提起していますね。早いなーと思います。どうやって質問を定めているんですか。秘密でなければ教えてください。
〈佐藤あや子〉
自分の中にあるのは「政治は国民のもの、市民のもの」ということが貫かれていて、市民の利益になることをどう答弁で引き出すか考えています。そのうえで政治家にとって大事なことの一つは想像力だと思っています。私は25歳で議員になったので、人生経験も圧倒的に少ない、何にもわからないに近い状態でみなさんに支えられてきました。当然ですが、私には私の人生しか体験することはできない。だけど政治というのは、すべての人たちのもので、日本国憲法のもとで治められている。すべての人が幸せになる権利をもっている。これを追求し、そこに力を注いできたといえると思います。
◆議場でイメージをどう持たせるか、言葉をどう選ぶか集中している◆
質問原稿をつくるのは遅いんです。質問前は、寝ても覚めても質問のことを考えていて、一つ一つの皆さんの実態を自分の中に落とし込めて行くという作業をズーっとやっています。議会の中では、最大の武器は実態だと思っているので、そこをどう自分のものにして議場で出せるかだと思っています。もう一つは、議論を戦わせる市長、自民、公明の議員、他の議員さんたち、部長さんたちを根柢のところでは信じる、同じ人間なので必ずわかってくれると自分で思うようにして、議場でこの方々にどれだけリアリティをもってもらうか、イメージをもってもらうか、言葉をどう選ぶかに集中しています。
耳の不自由な方の手話通訳が有料化されたとき、議場で私はこう言ったんです。「ここにいる皆さんは、医者に容態を伝えるときにお金が必要ですか」と。そんな人、議場には誰もいないんですよね。耳が聞こえないというだけで、人と話すのにお金を払わなければならないという、こんな理不尽なことはないだろうと追及しました。こういうことを発言する直前までグルグル考えています。
◆共産党に入ったのは「自分を大切にする」生き方に魅せられて◆
〈若木〉
皆さんも聞きたいと思うのですが、日本共産党に入ったきっかけはなんでしょうか。
〈佐藤あや子〉
父が共産党本部の大きな宣伝カーを運転していました。父に「宣伝カーのアナウンサーをやってくれないか」と言われて「いいよ」と返事して宣伝カーに乗りました。その年は、参議院選挙とが都議選がつづけて行われた年でした。この時の参院選東京選挙区の候補者は緒方靖夫さん、今の緒方副委員長でした。昔、緒方さんの自宅電話を警察に盗聴されるという事件がありました。裁判に訴えたその戦いを緒方さんが演説でお話しされました。それで私はこの事件を初めて知りました。緒方さんが戦いの原動力をお話しされたときに「自分を守る。家族を守る。そうでなければ人々の幸せを追求することはできないんだ」と。当時私は二十代前半なんですけどその演説に衝撃を受けました。というのも、当時、自分のなかで年々閉塞感が高まっていました。就職先も決まっていません。人のためには頑張れるが、自分のことは後回しでいいやと思っていたんですね。まさにその時「自分を大事にしなければ人を大事にできない」という緒方さんの生き様を見て、それは共産党の皆さんの生き方であり、共産党の在り方だということを知って共産党に入党しました。
◆年越し派遣村での経験、東日本大震災、この二つの大きな出来事からかかげたスローガンを大事に◆
〈若木〉
佐藤さんは二十五歳で議員になり早や16年。大事にしてきたことは何でしょうか。
〈佐藤あや子〉
2008年のリーマンショックの時に、年越し派遣村が開設されました。そこに、居ても立っても居られずに一人で向かって、見ず知らずの皆さんとボランティア活動をしました。年越しそばを夕食で出してお渡ししたんです。私の手から受けとる方々は、ちゃんとネクタイも締めている方もいらっしゃいました。「ごめんなさい」「すみません」と言って、受け取っていくんです。声がかけられなかったですけど”あなたのせいじゃない”と心の中で叫び続けるしかありませんでした。大企業の横暴で絶望の淵に立たされた方々の姿を忘れることはできません。
そして2011年の東日本大震災。今でも行方不明になっている方がいらっしゃいますが、犠牲になった方々が最後の最後のその時に、何を思っていたんだろうなといつも考えるんですね。想像することしかできないんですが、きっと子どもたちや残された人たちの命を私たちに託したんだろうと自分の中で答えを出しています。そういう人たち、名前を知らない人たちですが、その人たちに恥じない政治をやらなければいけないということをこの二つの大きな出来事の中で思っています。
私のスローガン「命の平等、人間の尊厳、あきらめず、まっすぐに」は、2011年の三期目に向かう選挙のときから掲げています。年越し派遣村で会った人たち、東日本大震災で犠牲になった方々、今もなお必死に生きている方々の思いをしっかりと胸に抱いてすすむ。これが政治家の仕事だろうと思っています。このことが自分の信念として確立されたのはこの二つの大きな出来事だったと思っています。
◆辺野古の問題は沖縄だけでなく、昭島市の地方自治にもかかわる危機と◆
〈若木〉
最後に五期目にやりたいことをお願いします。
〈佐藤あや子〉
公約としては、子育て支援とか医療や介護の充実だとか、様々ありますけれど、大前提として地方自治を昭島市政に位置づける、これをやらなければならない、今回はヒシヒシと感じています。今日(2月24日)は、沖縄の辺野古埋め立てをめぐって県民投票が行われています。それで今日は「辺野古ブルー」のシャツを着てきました。安倍政権は、県民投票でどんな結論が出ようと辺野古の埋め立てはすすめると言っています。沖縄だけでなく昭島市政にとっても地方自治の危機だと思います。
◆地方自治を昭島市に根づかせたい◆
このような安倍政権の状況のな中で「地方自治体とは何か」を問うてゆく。そこをしっかりと位置づけることをやりたいと思っています。
二年前に沖縄でオスプレイが墜落するという事故がありました。横田にも飛んできていた機体なんですが、これについて昭島市議会で緊急質問しようと通告がありました。そうしたら自民党の議長が決をとって自民、公明の数の力で質問をさせないということが起こりました。市民の命と安全に関わることを、議会で問題にすることを拒む態度で、異常な議会運営です。
安倍政権のもとで地方自治が侵食され、それへの対応で本当に忙しくなっています。そういう意味で、地方自治をどう位置づけるのか、新しい議会でどういう論戦をしてゆくのかが問われてくると思っています。先日、食事会がありまして、自民党のある議員が私の近くに座っていました。その議員がオスプレイのことを「あのワサワサしてる奴」と言うんです。「あれは、市の問題じゃないよね。市ではどうすることもできないよね」と私に言うんです。自分たちの中で、そういうふうに決着をつけて思考停止に陥っていると思います。地方自治を知らない人が増えていると感じています。いやなものはいや、私たちは”こうしたい”ということをしっかりと昭島市として言える、そういう市政に切り替えたい。横田の問題しかり、国民健康保険税の問題しかり、社会保障の問題しかり、どれもそうですが昭島市としてこういう未来を描きますということを言える市政にしたい。いろんな意見はあるでしょうが民主主義を根づかせる、そういうことを思っています。
〈若木〉
ありがとうございました。なんとしても五期目の佐藤さんの抱負を実現すべく、私もがんばります。みなさんがんばりましょう。(完)
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プロフィール
HN:
佐藤あや子
年齢:
46
性別:
女性
誕生日:
1978/04/18
自己紹介:
1978年、東京都中野区生まれ。9歳のとき、東京都昭島市に転居。
昭島市立中神小学校、昭和中学校を卒業。ソフトテニスで東京選抜代表となり都大会優勝。
群馬女子短期大学付属高校(現在は、高崎健康福祉大学高崎高校)普通科体育コースにスポーツ留学。寮生活をしながら、ソフトテニスで日本一をめざす。
東京女子体育短期大学保健体育学科卒業。中学校教員免許(保健体育)を取得。
2002年秋まで、昭島市保健福祉センター「あいぽっく」の水浴訓練室で、高齢者や障がい者のリハビリ支援。障害者スポーツ指導員の資格をとり、障害者水泳マラソンや知的障害者サッカーワールドカップなどをサポート。
2003年4月、25歳で昭島市議会議員初当選(現在、4期)。市議会議会運営委員会副委員長、厚生委員会副委員長、文教委員会副委員長、交通機関改善対策特別委員会副委員長、立川基地跡地利用対策特別委員会副委員長、都市計画審議会委員、立川・国立・昭島聖苑組合議会議員など歴任。
2019年4月の市議会議員選挙で五期目当選。現在、日本共産党昭島市議団会派代表、総務委員会委員長、立川基地跡地利用対策特別委員、都市開発審議会委員、昭島市民生委員推薦会副委員長。
日本共産党立川・昭島地区委員会副委員長、青年学生部長、2016年12月〜2017年8月まで衆議院東京21区予定候補(選挙区変更により、昭島市の区割りが東京25区に変更したため予定候補を降任)を歴任。昭島市議団長。
趣味は、水泳、ヨガ、2007年から習い始めたピアノの練習(なかなか上達しない)、宿坊めぐり、酒器あつめ、旅行など。家族は夫。
≪連絡先≫
●日本共産党
立川・昭島地区委員会
〒190-0022
東京都立川市錦町
1-16-13米久ビル1階
TEL
042-523-2589
FAX
042-529-4739
●日本共産党
佐藤あや子事務所
〒196-0025
東京都昭島市朝日町
3-7-14
TEL
042-549-0025
FAX
042-511-9936
●昭島市議会
日本共産党市議団控室
〒196-8511
東京都昭島市田中町
1-17-1
TEL&FAX
042-544-7213
昭島市立中神小学校、昭和中学校を卒業。ソフトテニスで東京選抜代表となり都大会優勝。
群馬女子短期大学付属高校(現在は、高崎健康福祉大学高崎高校)普通科体育コースにスポーツ留学。寮生活をしながら、ソフトテニスで日本一をめざす。
東京女子体育短期大学保健体育学科卒業。中学校教員免許(保健体育)を取得。
2002年秋まで、昭島市保健福祉センター「あいぽっく」の水浴訓練室で、高齢者や障がい者のリハビリ支援。障害者スポーツ指導員の資格をとり、障害者水泳マラソンや知的障害者サッカーワールドカップなどをサポート。
2003年4月、25歳で昭島市議会議員初当選(現在、4期)。市議会議会運営委員会副委員長、厚生委員会副委員長、文教委員会副委員長、交通機関改善対策特別委員会副委員長、立川基地跡地利用対策特別委員会副委員長、都市計画審議会委員、立川・国立・昭島聖苑組合議会議員など歴任。
2019年4月の市議会議員選挙で五期目当選。現在、日本共産党昭島市議団会派代表、総務委員会委員長、立川基地跡地利用対策特別委員、都市開発審議会委員、昭島市民生委員推薦会副委員長。
日本共産党立川・昭島地区委員会副委員長、青年学生部長、2016年12月〜2017年8月まで衆議院東京21区予定候補(選挙区変更により、昭島市の区割りが東京25区に変更したため予定候補を降任)を歴任。昭島市議団長。
趣味は、水泳、ヨガ、2007年から習い始めたピアノの練習(なかなか上達しない)、宿坊めぐり、酒器あつめ、旅行など。家族は夫。
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立川・昭島地区委員会
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