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日本共産党 昭島市議会議員 佐藤あや子のブログ 
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『年越し派遣村を忘れたなどと言わせません』
・・・
7日の国会
衆院厚生労働委員会で
日本共産党の
高橋ちづ子議員が述べた。




高橋ちづ子議員が
そう述べたのは
労働者派遣法改定の
採決に先立ち
行われた討論。


政府案を
さらに
骨抜きにする
改悪修正を
ほとんど
審議も行わず
賛成多数で
可決された。


民主、自民、公明の
3党によって・・・


採決では
日本共産党の他
みんなの党も反対。


社民党は
3党改悪修正に
反対したが
政府案には
賛成した。


政府案は
製造業派遣、登録型派遣の
「原則禁止」を
言いながらも
一方で
多くの例外を
認める内容だった。


『極めて不十分な内容』と
労働組合なども
声をあげていた。


3党の
修正案は
その政府案を
さらに
乏しくした
内容になっている。


政府案に
かろうじて
残されていた
「製造業と登録型派遣の原則禁止」さえ
削除。


そして
違法派遣があった場合
派遣先が
直接雇用を
申し込んだとみなす規定を
3年後に先送りする
というもの。


こんな内容で
どこに
この法改正の
意味が
あるのだろう。


この労働者派遣法を
改正しようと
焦点になったのは
2008年の
リーマン・ショックで
大量の
「派遣切り」が
大問題になったことだった。


忘れもしない。。。


2008年12月31日
私も
日比谷公園へ
向かった・・・


年越しそばの
下準備と
元旦の朝食用に
サンドイッチを
作った。


仕事も住まいも
同時に失った
労働者たちの
食事を作ったのだ。


うつむきながら
『すみません・・・』と
か細い声で
食事を受け取っていく
労働者たち。


決して
個人の責任ではないのに
『自分が悪い』と
思わされていた人たち。


あのときは
自民党政権の末期
だったのです。


小泉構造改革によって
あらゆる規制緩和が
すすめられ
労働者派遣法も
その一つだった。


そうした政治が
つくりあげた
貧困と格差の広がりを
目に見える形となって
あらわれた
社会現象が
あの派遣村だった。


その後・・・
民主党は
「労働者派遣法の改正」を
改正を表明し
2009年の総選挙で
政権交代を
果たしたのです。


多くの人が期待した。


ところが
民主党政権が出した
改定案は
製造業・登録型派遣を
「原則禁止」としながら
「常時雇用」や「専門26業務」を
除外するなど
抜け穴だらけ。


そして
さらに
財界の要求をバックに
反対する
自民、公明両党に
屈服した。


「原則禁止」さえも
投げ捨てたのだ。


『2008年の暮れ、派遣切りで仕事も住まいも失った労働者であふれかえった年越し派遣村を忘れたのか!』
高橋議員と同じく
私も叫びたい。


いま・・・
東日本大震災や
円高を
理由にした
解雇・雇止めが
広がっている。


そんな時こそ
派遣法の
抜本改正こそが
求めらている。


『派遣村を忘れたのか!』
と言いたいのは
国会の
民主、自民、公明各党
だけではない。


開会中の
昭島市議会でも
耳を疑う発言が
相次ぐ。


生活保護事業を
質問した
自民党の議員さんは
『年越し派遣村で、安易な生保申請があった』
と言った。


仕事も家も失い
絶望の淵に
立たされた
大量の労働者を
生み出したのは誰か。。。


大企業の横暴により
絶望する国民に
「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)を
保障するための
生活保護申請の
どこが「安易」なのだろう。。。


私たちが
相談を受けて
生保申請する
人たちは
決まって
自分を責めている。


私たちは
励ますところから
はじめる相談も
少なくない。


多くの人が
自立したいと
願いながら
生保申請を
しているのだ。


その議員さんは
加えて・・・
『鳩山政権のときの、年越し派遣村』とも
言っていたが・・・
前述したように
2008年暮れは
自民党末期だ。


また
他の議員さんは
『派遣村のような事態は一時的なのかもしれない・・・』
と言った。


新宿でも、池袋でも、隣の立川でも
「年越し派遣村」を
引き継ぐ取り組みが
今もなお
定期的に行われ・・・


たくさんの
相談者が
相次いでいる。


派遣村が
一時的で終わる
条件など
どこにもない。


『年越し派遣村を忘れたのか』
というより
『事実と実態を、しっかり認識してくれ』
と、言いたい。


・・・・・・・・・・


製造業派遣は
いかなる形でも
禁止すべきだ。


登録型派遣については
業務を
厳しく限定して
原則禁止とすべきだ。


2008年12月31日に
日比谷公園で
見たものを
私は決して
忘れることはできない。
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プロフィール
HN:
佐藤あや子
年齢:
46
性別:
女性
誕生日:
1978/04/18
自己紹介:
 1978年、東京都中野区生まれ。9歳のとき、東京都昭島市に転居。
 昭島市立中神小学校、昭和中学校を卒業。ソフトテニスで東京選抜代表となり都大会優勝。
 群馬女子短期大学付属高校(現在は、高崎健康福祉大学高崎高校)普通科体育コースにスポーツ留学。寮生活をしながら、ソフトテニスで日本一をめざす。
 東京女子体育短期大学保健体育学科卒業。中学校教員免許(保健体育)を取得。
 2002年秋まで、昭島市保健福祉センター「あいぽっく」の水浴訓練室で、高齢者や障がい者のリハビリ支援。障害者スポーツ指導員の資格をとり、障害者水泳マラソンや知的障害者サッカーワールドカップなどをサポート。
 2003年4月、25歳で昭島市議会議員初当選(現在、4期)。市議会議会運営委員会副委員長、厚生委員会副委員長、文教委員会副委員長、交通機関改善対策特別委員会副委員長、立川基地跡地利用対策特別委員会副委員長、都市計画審議会委員、立川・国立・昭島聖苑組合議会議員など歴任。
2019年4月の市議会議員選挙で五期目当選。現在、日本共産党昭島市議団会派代表、総務委員会委員長、立川基地跡地利用対策特別委員、都市開発審議会委員、昭島市民生委員推薦会副委員長。
日本共産党立川・昭島地区委員会副委員長、青年学生部長、2016年12月〜2017年8月まで衆議院東京21区予定候補(選挙区変更により、昭島市の区割りが東京25区に変更したため予定候補を降任)を歴任。昭島市議団長。
 趣味は、水泳、ヨガ、2007年から習い始めたピアノの練習(なかなか上達しない)、宿坊めぐり、酒器あつめ、旅行など。家族は夫。

≪連絡先≫
●日本共産党
立川・昭島地区委員会
〒190-0022
東京都立川市錦町
1-16-13米久ビル1階
TEL
042-523-2589
FAX
042-529-4739
●日本共産党
佐藤あや子事務所
〒196-0025
東京都昭島市朝日町
3-7-14
TEL
042-549-0025
FAX
042-511-9936
●昭島市議会 
日本共産党市議団控室
〒196-8511 
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TEL&FAX
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